元 さ ん の 山 歩 き
名 剣 山 (1,906m)
<富山県宇奈月町>
平成17年06月07日
長勢君のガイドで急遽、名剣山に行く事になった。もっとも、名剣山のてっぺんを踏むという大それた事ではなく、今まで足の踏み入れた事のない祖母谷・名剣沢に行くだけでも、私にしてみれば画期的な事であった。
欅平は、若い頃、剱岳の下山時、また下ノ廊下の帰路に2~3度来ただけである。その面影がないと言えばいいのか、忘れてしまったといえばいいのか、その雰囲気は全く覚えのないものであった。
祖母谷温泉への林道は、名剣温泉の手前で、林道整備のためなのか、それとも自己責任でという事なのか分からないが、簡単な通行止のゲートがあった。その先の長いトンネルは、4日前にようやく通れるようになったらしく、先月中旬の計画を断念せたのである。
餓鬼山から唐松岳へのルートを右に見過ごし、長い鉄製の橋を渡る。その右岸に祖母谷温泉がある。河原の何処かを掘ればすぐ熱い湯が噴き出るような雰囲気の場所である。
尚も、15分ほど砂防工事車両が入る林道を進み、名剣沢の流れを、スノーシェードのようなもので受けている所を左から取付く。コンクリート面に、やや薄れた赤字で「白馬」と書かれているが見落としやすいかもしれない。
6月だからであろう、沢の取付きには雪がない。ゴロゴロしたガラ場を行く事になる。途中百貫山・不帰岳・清水岳・白馬岳方面への登山道らしきものを沢の左岸に見過ごした。
10分程歩いたであろうか、雪の上に乗りアイゼンを着けた。GPSは標高927mを指していた。これまた、もう少し歩いた所で、偶然にも長勢君の二日前に紛失したGPSを発見、幸先良いスタートとなった。
あまり急だとは思わない雪渓だが、振り返ると結構角度があり、そうすぐだと思っている地点まで、なかな到達しなかった。しかし、10時15分で標高1186m、10時50分で二又の1400m超に達し、右側の沢(谷)に入った。二日前の長勢君は、もっと急な左側の谷(沢)に入ったらしいが、間違いと気付き下るのに難儀したらしい。
もうここまで来れば、今日の目的を達成したようなものだが、やっぱり欲が出て、もう少しになってしまった。行けば行くほど、谷は狭まり雪の斜面が急になった。そして、大きな雪の割れ目が口を開けたように、容易に先に進ませてくれない。
先日の遭難騒ぎの時に使われたと思える捨て縄を頼りに、岩と土の斜面に取付いたが、若き戦士・長勢君は、クレパス上部にピッケルを鳶口のようにさして、スルスルと登って行ってしまった。
山頂に届かない事は最初から分かっていたし、何処で退却するかにかかっていた。それは、万が一の事が起きて、若き彼に迷惑を掛けてもいけないからでもあった。「もうちょっと!」が「遠目にも岩門が見える所まで!」になってしまったが、名剣沢の迫力を充分に感じる事が出来た。
午後0時20分から20分間ほど、休憩してから下るのであるが、これまた一苦労であった。スキーで急斜面を下る時と同じで、真下を向けないのである。ロートルは情けないと思ってしまった。核心部では、長勢君にロープを出してもらう羽目になった。ちょっと傾斜が緩むと随分違うのであるが、二又まで結構時間を費やしてしまった。
石や岩がゴロゴロした斜面を下りながら、アイゼンワークをもうチョット訓練しなくては、とても再挑戦など出来ないと思ってしまった。それにしても、ロートルに付き合ってくれた長勢君に感謝したい。
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名剣温泉・祖母谷温泉への案内標識 |
奥鐘橋を渡る |
15分程で名剣温泉に出る |
更に10分程行くと長いトンネルがある |
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左端に見えるのが祖母谷温泉 |
シェードの左側を登って行く |
出合から見る名剣沢 |
百貫・不帰・清水経由白馬への登山口 |
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ゴロゴロした名剣沢を登り始める |
雪渓に近づく |
アイゼン装着現場から見下ろす |
なだらかで近くに見えるがそうではない |
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大きな倒木に腰掛けて休憩 |
石や岩だらけの名剣沢を見下ろす |
二又近くになると、グーっと急になる |
対岸の山が見えるが・・・? |
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ルートを選びながら前に進む! |
二又は近いようでなかなか届かない |
また、下を見る |
急斜面でも余裕の長勢君 |
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二又めがけて急斜面を行く |
二又が近づく |
今日は長勢君がガイド役 |
「もうすぐだ!」と思っても、 なかなか着かない |
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二又で右側の谷に入る |
二又で左の谷① |
二又で左の谷② |
振り返るとゾーッとする谷 |
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尚も急登が続く |
長勢君は行く① |
長勢君は行く② |
大きなクレパスが口を開けている |
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何処でも攀じ登って行く |
下を見ると怖い! |
トラバースも怖い! |
すぐ息があがる |
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益々凄さを増す |
雪渓を避けてヘツル |
急斜面を行く |
クレパス上部に取付く |
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強引に登る |
済ました感じで尚も行く |
更に急斜面が続く |
大きく割れたクレパスを見上げる |
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岩門を確認した所で撤退を決意! |
下るのが大変! |
やっとの思いで下る私 |
クレパスを飛び降りる長勢君 |
「平成17年6月7日・8日のコラム(山つれづれ・・・・から)
6/7 「明日は何処に?」の問いかけに「本当は祖母谷に行きたい!」との私の要望に長勢君が応じてくれた。
先月中旬、テン泊の計画が流れ(名剣山・奥鐘山が黒部五郎岳に変更)、もうその機会がないかと思っていた。祖母谷への道が開通した一昨日に、偵察に出掛けた長勢君が、頂きを極めてしまった。
その日たまたま起きた事故に遭遇した彼は、持ち前の技量を発揮し残りのメンバーを導いたり、当局に通報の手助けをしたらしい。その際落としたGPSを探すのも今回の山行の目的の一つにもなった。
日帰りで登頂を果たした彼と違いロートルの私は、「名剣沢まででもいい。」「アイゼンを着ける所まででもいい。」「二又まで行けたら最高。」などと幾つか目標を設定し、いつでも撤退を覚悟しての山行としていた。
名剣沢は、名の通り谷ではなく沢であり、想像以上の傾斜であった。毛勝谷や猫又谷など比ではなく、休日・天候・同行者など余程の幸運が重ならないと、私のような者が登頂出来るわけがないと思った。
そして、時間に追われず、やはり前泊が条件であろう。それでも、正午過ぎに、標高1,686mまで登り、岩門を眺めれる位置まで到達出来た。もちろん長勢君のフォローがあったからでもある。
二日前と比べて、「大きな石(岩)の位置が違う。」「クレパスが新たに出来た。」などと、名剣沢の刻々変わる様も教えてくれた。「登るよりも下る方が怖い。」と言う表現があたるように、彼は一度登ったからと言って、次もという気になれない特別の山だと盛んに言っていた。また、ピッケル・アイゼンが、これほど頼りになる山もそうないであろう。今日は、頂きに立てなかった割には、晴々と頗る満足な一日であった。 p.m.11:59
6/8 怖い思いをしたら、もう行きたくないとか、二度と行きたくない気持ちになるのであるが、今回ばかりは違っていた。若き戦士長勢君の他、「シュンちゃん」や堀シェフ、そして宮下女史の顔が浮かんだ。時間をたっぷり掛けてとは、前夜テントの中で、大いに語り明かし、その精鋭にサポートされて山頂に着くというシナリオである。
でも、この名剣山だけは、そんなに甘くはなく、よからぬ者を跳ね除けてしまいそうな雰囲気の山である。もっと鍛錬せねば、不心得の思いを持っている私だけがオミットされる事になりそうである。
黒部流域の山々は私にとって遠い存在であったが、何故か今回の事で、登れるか登れないかは別にして、意外に身近な存在になりつつある。奥鐘山・不帰岳・百貫山、もしかしたら・・・・でも、そんなに時間があるだろうか? p.m.11:50
■■■ コースタイム ■■■
高岡4:55=魚津5:45=宇奈月(6:30~7:00)=欅平8:30=名剣温泉8:45=祖母谷温泉9:05=名剣沢出合9:20=アイゼン装着(9:30~40)=1186m休憩10:15=1405m二又10:50=1595m休憩11:55=1686m撤退地点(12:20~40)=二又13:55=アイゼン脱着14:30=名剣沢出合(14:45~55)=欅平(15:35~16:00)=宇奈月(17:15~25)=魚津(17:55~18:05)=高岡19:05
■■ 同行者 ■■
長勢君