大 猫 山

 

 片貝川南又谷から猫又山、釜谷山に入った時から大猫山が気になっていた。
 「越中の百山」を手にしたのは、あまり良く覚えていないのだが、今から20年程前の事だろうか、私の知っている山など数少なく、とてもショックを受けたものだった。
 標高700b以上で、しかも北アルプス稜線上にない山「123座」である。その、私の多く知らない山々は、登山道がなく、藪を漕ぐか、積雪期に登らなければ、山頂に立つ事の出来ない山で、半数近くを占めていた。中には、難読の山名もあり、本当に馴染みにくい本であった。
でも、遠出が出来なく、只、山に行きたい私には、次第に教本となり、またおおよそガイドブックと言うよりは文学的要素が強く、叙述には共鳴を覚えるところが多かった。次第に地形図、コンパスを頼りに、残雪の山々に足を伸ばし、その魅力に嵌っていった。

<大猫平にて>
   猫又山、釜谷山の頂に立った時、次は東芦見尾根の大猫山と鬼場倉ノ頭のピークに立ちたいと胸が膨らんだ。それに輪を掛けさせたのは、辰口氏の「剱の展望は、細蔵山より迫力がある。」の一言だった。
 昨春は、猫又谷の雪渓に取付く前に雨のため断念。今春は、林道に入る事が出来なく、無雪期に馬場島のブナクラ谷堰堤手前の駐車場からの新ルートで登ってみようと思っていた。
 一回目は、暑い暑い7月23日で、私が車を止めた前が取付きだった。何も標識がなく、平らな石に赤い矢印があるだけで、すぐ急登が始まる。「こんな道をよくつくったものだ。」と思いながら高度をあげていくに連れ、雲の中に入っていくような感じで、期待している山並みがだんだんと見えなくなっていく。
 「下界はあんなに暑いのに!」望遠レンズや重たい三脚を担いできた時は、だいたい天候が悪くなりその機材を使うことなく、悔しい思いをする事が多いのである。
 前夜に降った雨なのか、それとも只の夜露か知らないけれど、汗とあいまってシャツもズボンもビッショリである。もともと高度差は、1100〜1200bだから、辛い行程であっても、足さえ前へ出しておれば、いずれ山頂に届くくらいの積もりで登っており、急登であれば尚更早く着けると思っていた。
 標高1400bと1500bの所にほんの一寸下りがある他は、なだらかな一部を除いて登る一方である。水もお花もない。一本道で目印の布切れが程よく吊るしてある道を、根気良く登って出た池塘群とお花畑(大猫平)は、期待していた程の大きさではないものの、砂漠に例えれば、おそらくオアシスに与えするものであろう。未だ残雪があり、チングルマは満開でハクサンコザクラは次の順番を待っているかのようであり、私がミツガシワと勘違いしていたイワイチョウの葉が一面に蔓延っていた。
<チングルマ>
 昨夏完成したこのルートは、今年は未だ登る人も少ないと見えて、踏み跡がわからず、ところによっては、目を瞑ってお花を踏みつけなければ前に進む事が出来ないほどであった。ガスが漂うと、低木に目印の布切れが結んであっても、初めての者にしてみれば、不安いっぱいの風衝草原である。大猫平から山頂に向かっての急登は、草地のトラバースもあり、手がかりがなく、決して登り易いものではなかった。でも、ガスの切れ間から見下ろす大猫平は、紅葉時には素晴らしい景観を約束してくれると確信した。稜線に出てからは、ササとチングルマ、ハクサンコザクラが入り混じってその草原が西にのびている。

<ハクサンコザクラ>
 東笠山や白木峰の山頂の草原と、少し趣きが違っていたが、今日の最大の目的であった剱岳を間近で仰いでおれば、この草原の値も頗る上がるものが、剱岳どころか毛勝の山々も全く見えないのである。なるべくお花から離れて、笹薮の中を西へ西へと歩んだが、一向に山頂らしきところがわからず、今通ったところが、山頂ではないかと行ったり来たりが暫く続いた。
 わからぬ所へ行って、迷って他の人に迷惑をかけたり、ケガをしたりしてはいけないと思い、何も見えない草原で、お花を踏まないように、ササの中に小さな岩を見つけ、とりあえず休息をする事にした。冷凍してきた冷たいはずのビールまでもが、ぬるくてほろ苦く、私をあざ笑っているようであった。
 「大猫山山頂、剱岳は仰げずとも、まるでクーラーの中」「大猫山山頂、お花を踏まなくては歩けない。剱が見えなくて残念!」の携帯メールを、感激ではなく自分自身の慰めのメッセージとして山友に送り、本来なら真っ青な青空を眺めて寝転ぶところなのに、灰色の空にガスがどんどん流れていく様を見ながら、もう1本の缶ビール飲んだ後、目を瞑ってしまった。
 それから、どれだけ時間が過ぎたのだろうか、ガスの冷気で目が覚めた。誰もいない束の間の「私だけの山」は、目的を果せなかったとは言え、過ぎて行く時間と共にやっぱり大猫山に来たんだという充実感を生み出していった。帰路は、腕が痛くなるくらいに、木々の枝にぶら下がりながら降りた。


<大猫山山頂で>
 二回目は、8月19日。暑いから、朝のうちに登ってしまおうと思い、自宅を午前3時半に出た。でも、何故と思うほどに、伊折からワイパーを動かさなくてはいけない状態になった。馬場島に入りその心配はなくなったが、予報と違い晴れるような気がしない。山と平野(下界)は違うもの・・・・・。
 ブナクラ谷堰堤手前の駐車場で準備をしていると、ブナクラ谷からヘッドランプを付けて勢いよく降りて来る人がいた。この人は、後に語るYASUHIRO氏であり、彼は、大猫山で最初に出会った人でもある。大きなパジェロの持ち主でもある彼が、一言交わしスイスイと駆け上がっていった。
 15分遅れのスタートになったが、カモシカのような彼に追いつくはずもない。30分ほど登って、初めて薄っすらと剱岳が姿を見せたと思ったら、今回もそれが残念ながら、"初めの最後"となってしまい、標高1400bの鞍部も1500bのピークでもカメラのシャッターを切る事がなかった。

 二回目の登高は、要領が掴めてかチンタラ登っていても、一回目よりは、かなり早く登れたようである。大猫平に着いた頃は、YASUHIRO氏がなおも山頂に向かって駆け上がって行くのが見え、私が息を弾ませながら山頂付近に辿り着いた頃には、彼は一通りの事を済ませていたようであった。失礼ながら、山歴の事を伺うと、今春も大ブナクラ谷から猫又山に登っておられるし、私の知っている殆どの山々は、山スキーで踏破されているようであった。山スキーが主流で夏山はトレーニングだと言われるから参ってしまう。私が彼よりも上回っているのは、年齢と山歴年数だけで、「山スキーの事なら教授するよ。」と述べられダブルストックで今度は駆け降りていかれた。
<大猫山山頂付近から釜谷山>
 その最中、剱岳はさっぱりだったが、釜谷山が山容を現し、猫又山も時々ガスの切れ間から顔を出した。でもそれも一時の事で、すぐ姿を消してしまった。
 今回も2時間程山頂の草原にいたが、半袖姿では、鳥肌が立つくらい寒かった。時を費やしても剱岳の勇壮な姿を現してくれないらしく、こうなったら、大猫山から剱岳を仰ぐまでは、何度も"リベンジ"する決心をしながら、山から降り掛けたら、もう一人の人が登ってきた。「凄い道ですね」「こんな所によく道をつけたものですね!」誰もが同じ事を思いながら、登って来ているようである。「双嶺グループ」「ブナクラ修復グループ」に所属している宮村、辰口両氏に敬意を称し、彼等の作った道を、他の人々に紹介出来るように、この大猫山を知り尽くしたいと思った。

 元ちゃん記(平成13年8月30日)




「山と渓谷9月号」の特別企画、全国新登山道ガイド
馬場島から新しく開かれた剱岳北面の展望地へ続く道
北アルプス北部前衛  「馬場島から大猫山」を参照されたし!