元    さ    ん    の    山    紀     行
雷鳥沢キャンプ・剱御前(2,776.5m)
<富山県立山町・上市町>  平成23年08月01日~02日




剱 岳  端正でかっこいい!






「シュンちゃん」 暗い内から朝食の準備! 「今日のお天気はどうなのだろう?」
誰もが迷うような空模様であった。
a.m.5:10 キャンプサイトを発つ。


ハクサンイチゲが可愛い。 コバイケイソウがいい。


雷鳥坂で一服。 剱御前小屋に「ねぎちゃん」を訪ね、下山の約束をする。


剱御前小屋(別山乗越)を出発! 三角点以降は、通行止めの表示 岩場に「山ノ神」が悲鳴をあげそうだった。


稜線歩きは、約800mあった。 岩場を過ぎれば、オアシス?のような感じ お花畑が続く。


三角点にタッチ!
三角点は、必ずしも最高点ではない。
この先は、通行止め。 剱岳が顔を出すのを待つ。


だんだんとガスが晴れて来た。 八峰や剱沢の雪渓が望めるようになった。


立山方面を望む。


剱岳をバックに・・・


大日連山を望む。 地獄谷・室堂方面を覗く。


てっぺんに立てた事、剱岳を拝めた事に乾杯!(コーヒー)


すっきりと、雄山・大汝山・富士の折立が望めます。


剱沢や別山乗越から望むのと、また違った感じの剱岳です。


何度も振り返って、剱岳を撮りました。
やがて、ガスの中に消えて行きました。


剱御前小屋が見えるのですが・・・ この岩場を越えれば・・・ 剱御前小屋が見えます。


まだ、岩場がありました。 何とか約束の時間に間に合いそうです。 「ねぎちゃん」が待っててくれました。


1時間程だったけれどたくさん話しました。 チングルマが咲き誇っていました。 キャップサイトが目の前です。


ゆっくりのハズだったのですが、
やっぱりタイムが気になったようです。
「ねぎちゃん」とは、一日目も二日目も、
1時間程しか、一緒出来ませんでした。
仕事の関係上「ねぎちゃん」は、
すぐに、室堂向けて出発です。


我々は、二日目も昼食を兼ねて、3時間ほど、キャンプサイトで
ゆっくり寛ぎました。たまには、こんなのもいいような気がします。


また、雨が、ぱらつき傘を差しました。 地獄谷で大勢の生徒さん達と会いました。 地獄谷からみくりが池の登りです。





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  元さんの戯言・呟き

8/2 午前3時半頃から起き出して空を眺めるのでしたが、上部にはガスが立ち込めて、前途の見通しは良いものではありませんでした。山小屋関係者から伝えられた予報では、「回復の兆し」でしたが、本当とは思えませんでした。でも、とにかく、一つのピークに立つ事と、出来る事なら、「ねぎちゃんと一緒に、雷鳥坂ぐらいは降りたい。」 の思いから剱御前小屋に行く事にしました。

 色取り取りのテントが、まるでお花が咲いているかのように、カラフルなテントサイトを見下ろしながら、雷鳥坂を登って行くのですが、これも、ゆっくりと焦らずに徹したのでした。でも、休憩時間を多く取らずに、足さえ前に出しておれば、意外とその差はないような気がしております。

 お手伝いの「ねぎちゃん」を呼び出し、解放される時間を確認し、今日は、剱岳でも別山でもない剱御前を目指したのです。「さっきは、ちょっと、剱が顔出したのよ!」 言われるくらいに、「また、ピークや三角点を踏むだけになるかも・・・」 と何にも見えない稜線を歩き出したのです。

 私も、ずっと前(いや、大昔)に、行った事が、いや、通り抜けた(今は、三角点で通行止)事があるような、ないような記憶しかなく、意外と長い行程に思わずGPSを見詰めてしまいました。しかし、ちょっとした岩肌を通り抜ければ別天地があったのでした。そして、どうした事か、剱岳が顔を出し、雄山を始めとする立山一帯が眺める事が出来たのです。でも長く続かなかったのですが、頗る満足で、「ねぎちゃん」との約束を気に掛けながら、コーヒーぐらいは沸かそうとなってしまいました。

 良き写真が撮れたかどうかは別にして、3人ともシャッターを切り続けました。中でも、「シュンちゃん」が、「素晴らしい!」 を連発をし、「来て良かった。」 「凄く良いところ・・」 「絵になる剱」 などと惚れ込んでしまったようでした。

 約束の時間(剱御前小屋前)に、ギリギリとなったのですが、何とか、「ねぎちゃんと一緒に、雷鳥坂を降る事が出来ました。」 キャンプサイトで、「ねぎちゃん」を見送ってからは、簡単な食事をし、後は思い思いに時間を過ごしました。室堂に向かう途中も、バスに乗ってからも、雨が降ったり止んだりだったのですが、始めからそのように臨んだからでしょうか、余り苦になるような事はありませんでした。



8/3 私が初めて剱岳に登ったのが昭和39年7月ある。別山尾根から山頂に立ち、長次郎谷を降ったか、長次郎谷から山頂に立ち、別山尾根を降ったかは、よく覚えていない。その頃は、別山尾根の事を一般コースと呼んでいた。何の意味もなく、先輩達が、そう呼んでいたから、自分もそう思っていただけの事である。

 特別地名を意識していたわけでもないし、三角点の事などにも差程興味がなかった。もちろん柴崎測量官の事は知っていたし、民間人で最初に剱岳を登ったのは、河合良成(小松製作所の創業者=高岡中学出身)である事も知っていた。 (正確には複数)

 いつの頃からか、その一般ルートの事を、「別山尾根」 とよく耳にする事になり、私も必然的に、その呼称を使ってきた。しかし、「別山と離れているのに、何故、剱岳の一般ルートが別山尾根なのか?」 との思いはあった。

 三角点を少しだけ意識するようになった時、多分、ヨネちゃんの三角点資料を、もらった頃からかもしれないが、剱御前の三角点名が、「別山」 である事を知って、「なるほど。」 と思ったように記憶している。

 以前は、稜線上をクロユリコルを経由して、剱岳に向かうルートがあったが、今は、その三角点より先が通行止めとされている。その三角点(標高2,776.5m)より、手前に最高点(2,792m)がある。





 ■■■ コースタイム ■■■
  一日目
   高岡=アルペン村8:00=立山駅=美女平=室堂(9:55~10:05)=雷鳥沢キャンプ場(11:00~ )   

  二日目
    キャンプ場5:10=剱御前小屋(7:00~15)=剱御前三角点(7:45~8:15)=剱御前小屋8:35=雷鳥沢キャンプ場(9:35~12:45)=室堂(13:45~14:00)=立山駅15:00=高岡   

 ■■■ 同行者 ■■■
        「シュンちゃん」・「山ノ神」
         一部「ねぎちゃん」