元   さ   ん   の   山   紀    行
大 岳 山 (1,266m)
< 東京都 >   平成23年04月18日




来高していた埼玉の姉を送ってから、奥多摩に入った。





最短ルートの大ダワから・・ 穏やかな登山道から始まった。 当初は、鋸尾根からの計画であった。


木ノ根が張ったところがあり → また、穏やかな道が続いた。 アセビが咲いていた。


~~ ちょっとだけれど、こんな所もあった。 ~~


大岳山頂へ・・ コガラかヤマガラか分からなかったが・・ こんな看板が山頂にあった。


青海街道・弁天橋付近から大ダワへの林道が、果たして入れるのかと思っていたが、ラッキーだった。





 元さんの戯言・呟きから

4/18 「幾つになっても姉は姉。私は紛れもなく弟で、兄にはなれない。」 また、「自分の身体が病んでいるのに、私の身体の事を随分と心配してくれた。」 「たくさんでもないが、両親を交えた昔の事を懐かしく語り合った。」

 昨夜は遅かったし疲れたのかもしれない姉は、ぐっすりと休んでいた。起こすのも気の毒だったが、黙って行くわけにもいかないし、そっと声を掛けた。出発のタイムリミットを告げたが、「あれも食べろ、これも持って行け!」 と気を遣ってくれた。後ろ髪を引かれる思いで、アクセルを踏んだのが午前5時であった。

 圏央道「青梅」で降り、カーナビのもたない私達は、大岳山の登山口を探すのに結構苦労した。通常の御嶽山ケーブルカーを利用しない方法をとったからかもしれないが、高額の駐車料も嫌気に輪を掛けた事も事実である。奥多摩側から鋸尾根を経由するつもりであったが、地図を見ると、1000m付近まで(大ダワ)林道を利用すれば、「山ノ神」が余裕を思って登れるだろうし、もう一つの山(三頭山)にも登れるのではないかと目論んでいた。

 しかし、その林道が、なかなか見付からなかったし、ようやく見付けて車を入れれば、関係者以外入山禁止や落石の危険の看板が立てられていた。森林組合の事務所があり、一声かけて入ろうかとしたが、朝が早く鍵が閉まっていたので、仕方がなく、車を上げたが、またまた「車を入れるな!」 との看板を目にして、諦め始めた所へ、地元のワサビを見に来たというおじさんが、「入っても大丈夫だ。」 と太鼓判を押してくれたので再び車を進めた。所々に大きな石が林道に転げ落ちている様に、「山ノ神」は不安がいっぱい。また、こんな所まで林道があるのかと思う程であった。何せ標高350mから1,000mくらいまで、一気に高度を上げるのであるから・・・・

 大ダワから鋸尾根に出てしまえば、緩やかなアップダウンが何度となく繰り返すが、1時間余で、大岳山頂に辿り着いた。東京の街が望めるのであろうが、生憎の空模様では、それこそ「何にも見えない。」 のであった。山頂では誰もと会わなかったし、下山路で単独行の二人と会っただけで、人口の多い東京であっても、平日のお天気の悪い時には、登る人達がいないのかもしれないと思った。

 再び青梅街道に戻り、三頭山登山口の一つ「都民の森」 を目指した。せっかく行ったのに閉園と言うことで、徒歩で15~20分程戻る駐車場に止めてからの出発となる。しばらくは、公園の中を歩く感じなので、何となく変な感じであったが、何であっても登ってみなければ分からない。東峰(三角点)と中央峰(最高峰)に至ったが、ポツリと雨が落ちるようでは、展望も何もあったものではない。また、誰とも会わなかった。

 大岳山頂で食事をしようと思って、カップ麺や水、ガス・コッフェルを出したが、肝心のコンロが見当たらない。それでは、コーヒーさえも楽しむ事が出来なかった。「可笑しい、可笑しい!」 と言ってみても無いものは仕方がない。そんな事で、それらを持ち上げてもどうしようもないわけで、三頭山でも寂しいものとなった。

 塩山から勝沼へ抜け高速の人となったが、100キロは岡谷で一旦降り、岡谷から松本まで再び乗ろうとしたが、すぐに入る事が出来ず、ガソリンスタンドに飛び込んでから方向転換した。上高地公園線に入ってからは雨が強くなった。でも、午前0時丁度に我が家に戻れた。全走行距離は、約1,000キロであった。



 ■■■コースタイム■■■


 ■■■同行者■■■
        比佐恵